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鎖国時代の名残今も「長崎新地中華街」「唐人屋敷跡」を歩く
- 2016/1/11
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鎖国時代の1661年、中国の清王朝が日本との貿易で財を築く明王朝復興勢力を内陸地に強制移住させ、弱体化を図るという遷界令(せんかいれい)を敷いた。
これが1684年に撤廃されると、日本との貿易が再び活発化。貿易港である長崎には中国人居住者も増えてきたことから、中国人居住区として1689年に設けられた「唐人屋敷」。
最盛期には2000人以上が暮らしていたようだが、1859年の開国以降はそのほとんどが廃屋化。
現在、度重なる大火を免れた遺構が保存されてはいるものの、どれも保存状態は悪く、町並みを含め観光地化とは程遠い印象を受ける。







この唐人屋敷の名残と観光地化が唯一共存しているのが「長崎新地中華街」。



横浜中華街や神戸中華街にはない歴史の一面を感じさせる。
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